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Since2013.10~「100万人の金色のコルダ」、漫画金色のコルダ、Vitaのゲームをベースに、吉羅暁彦理事長と日野香穂子の小説を連載しています。現在単発で吉羅理事長楽章ノベライズや、オクターヴの補完テキスト、パロディマンガ無料掲載中。一部パスワードあり
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ある日の夜、吉羅の携帯に香穂子から電話がかかってきた。
特に急がない用事の時はメールなので、危急の用件だと思って出る。

『あ、吉羅さん!すみません、こんな夜分に。今学校にいますか?』
「ああ。今もまだ仕事中だけど、何か急ぎの用事かね?」
『あの、音楽準備室に忘れ物してきちゃいまして』
「忘れ物?何を忘れたのかね?」

『家の鍵とか入れたポーチなんです。今、親も姉も外出中で、その鍵がないと私、家に入れないんです。家の前で鞄探したら、忘れ物に気付いて……』
「準備室には鍵がかかっているが、金澤さんはもう帰宅している」
『えと、あの、どうすればいいでしょうか、私』


香穂子はよほど焦っているのか、電話口のむこうで早口になっている。
外は夜の8時過ぎで、若い娘が一人きりで制服姿でうろつくには微妙な時間帯だ。


「親御さんか、お姉さんに連絡はつかないのかね?」
『親は友達と旅行中で、姉は会社で、今夜締めの残業中だから、すぐには帰れないって言われました……』
「君は今も家の前にいるのかね?それなら、すぐこちらに来なさい」


やがて、香穂子が息を弾ませながら理事長室にやって来た。
「失礼します」
走ってきたと思しく、その後は荒い息で言葉が続かない。
「音楽準備室の鍵を、職員室から持ってきた。その忘れ物を、一緒に探しに行くからついて来たまえ」
鍵を手にした吉羅が、香穂子の前を歩き出す。


「ありがとうございます。……すみません、ご迷惑をおかけして」
「まるで、私は君の担任教師みたいだな。もっとも、私は教員免許は持っていないがね」
吉羅は話しながら、香穂子と歩調を合わせて歩く。
既に生徒は残っておらず、人のいない廊下の明かりは非常灯のみの最小限に絞られていた。


「いつも、こんな時間までお仕事しているんですか?」
「まあ、大抵はね。他の教師陣は、テストの前後はもっと遅くまで問題作成や採点でてんてこ舞いしているよ。私の主な仕事は、学院運営上の最終的な判断や決裁が多いが。
女子生徒を連れて、夜の学校巡りまでする羽目になるとは、思いもよらなかったな」
吉羅は苦笑を浮かべながら、からかい半分で香穂子を見る。


「……夜の学校って、普段と全然様子が違いますよね……」
香穂子の歩くスピードが、だんだん遅くなってきている。
周りをきょろきょろ見回しながら、暗闇のほぼ無人の校内を怖がっているらしい。
「今夜は、なんだかおとなしいね。もしかして、怖いのかな?」
「……………………」
返ってきたのは無言の承諾だった。


「あの……吉羅さん」
「なんだね?」
吉羅のスーツの上着の端を、香穂子の手がそっとつまんでくる。
「やめたまえ。服が伸びてしまう」
言いながら、香穂子に手を差し伸べる。
吉羅の手を見て、一瞬躊躇う香穂子が、意を決して彼の手を握る。


「暗闇を恐れるよりも、もっと他に警戒すべきものがあるんじゃないかね」
「え?」
聞き取れなかったのか、香穂子が聞き返す。



二人は真っ暗な音楽準備室の前に立ち、吉羅は廊下に備え付けてある非常用ライトを手に取り、香穂子に手渡した。
「日野君、このライトで鍵穴を照らしてくれないか」
「はい」
香穂子が差し出したライトの灯りを頼りに、吉羅は開錠に成功した。

室内の照明のスイッチをライトで探り当て、押してみる。

反応がない。
スイッチが入り切りされる音さえしない。
「どうやら、スイッチ部分の回路が破断しているな」
吉羅は渋面を作った。
「明日、修理を頼むことにしよう。日野君の荷物は、どこに置いたのか覚えているかね?」

「確か、ピアノの横の、窓の近くに置いたと思います」
吉羅が香穂子の手を引きながら、窓辺の方に歩いて近寄った。
香穂子が言った辺りをライトで照らす。


「あ、あった!」
香穂子はポーチを手にして、中身を開けた。
「大丈夫です、鍵もありました。ああ、よかった……」
安堵に笑み崩れる香穂子を見ていると、吉羅も自然と顔が笑いを形作ってしまう。
「気をつけたまえ。これが私だったからよかったものの……」


カーテンの隙間から、月光が漏れてくるのがわかる。
「あ、そういえば……今夜は満月ですね」
香穂子はカーテンを引くと、彼女の言う通りに美しい満月が夜空に浮かんでいるのが見える。
「そうだったのか。君に言われるまで、気がつかなかったよ」
「働きすぎなんじゃないですか?ほら、よく言うじゃありませんか。空を見上げる余裕もないほど働いてるって」


「そうかもしれないな。仕事に集中していると、今がいつなのか、時間だとか、日付や季節の概念さえわからなくなる時があるよ」
「季節までわからないって、ほんとですか?」
香穂子が素っ頓狂な声をあげる。
そんなにおかしいのだろうか、と仕事中毒の吉羅には何が問題なのかわかりかねた。


「いや、そういう時があるってことだよ。いつもいつもそうだったら、まるで私は認知症じゃないか」
「そんな吉羅さんなんて想像できませんよ!」
すっかりいつもの快活さを取り戻した香穂子を見て、吉羅は穏やかな気持ちになる。



満月の光はとても明るくて、窓辺にあるピアノも、二人の姿も清明な光で照らし出される。
「……こういう時には、ドビュッシーの『月の光』弾きたくなります」
「月の光か。ぴったりだな」
香穂子がグランドピアノの蓋を開けて、それでも鍵盤には触れずにじっと見つめている。


「私、昔ピアノやってて、それでも辞めちゃったこと、吉羅さんは知ってますよね?ピアノを弾きたい、うまくなりたいって思ったきっかけの曲なんです」
香穂子がどこかせつなげな顔をして、吉羅の方を見つめる。


「私って手が小さいから、ただでさえピアノを弾くには不利なんですよね。指も長くないし、どんなに手を広げても、キーに届かなくて。指がうまく動かなかったことが、悔しくて、悲しくて。
だからなのかな……私、『月の光』のピアノ演奏を聴いてると、泣けちゃう時があるんです。
光は優しく照らしてくれるのに、決してこの手には掴めない気がして……」


それまで黙って彼女の言葉に聞き入っていた吉羅は、香穂子の傍に歩み寄ってきた。
「君を泣かせてしまうかもしれないけど、いいかな」


香穂子が意味をわかりかねて問いかけようかとしていると、次に吉羅はまたも彼女を驚かせた。
ピアノ奏者が座る椅子に着席する。
吉羅の行動を見つめている香穂子は、思いもかけない彼の様子を見て息を呑む。


吉羅の手が鍵盤に触れ、流麗な演奏が始まった。
あくまでも優しく、繊細なタッチで彩られるピアニシモ。
細く長い指の織り成す優美な音の世界に、香穂子は心を奪われる。
姉の命を奪った音楽を憎み、ヴァイオリンを捨てた男が、今自分の目の前で、彼女が憧れてやまない旋律をピアノで奏でてくれている。
自分のために。


こんなことって、本当にあるのだろうか。
月が見せてくれる幸福な幻影じゃないだろうか。
奇跡のように突如現れた目前の光景に、香穂子は魂を揺すぶられる。
白銀色に煌く光を一身に浴びる吉羅の姿が浮かび上がり、優しく彼女に語り掛けるように響いてくる音色。
吉羅は今、間違いなく香穂子のためだけに弾いているのだと確信できた。



いつのまにか、香穂子の大きな瞳から、涙がはらはらとこぼれて落ちた。



演奏を終えた吉羅が香穂子を見上げると、彼女は頬を濡らしていた。
「やっぱり、泣かせてしまったね」
「だって……。だって、吉羅さんが……」
泣きながら言葉の続かない彼女を、吉羅が抱き寄せる。
すすり泣きを続ける香穂子の体の震えが止まるまで、何も言わずに抱きしめ続けた。


規則正しい、彼の心臓の鼓動の音が聞こえる。
広い胸の中に体ごとすっぽり包まれていると、このまま眠ってしまいたいくらいに、安心する。
「ありがとう……もう大丈夫です。ごめんなさい、迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃない」
吉羅が、香穂子の前髪をそっと指で払って、額に口づける。
「落ち着いたかな?」

優しく笑いかけてくれる吉羅を、香穂子は潤んだ瞳で見つめる。
自分が本当は何を求めているのかを、眼差しで訴えかける。
香穂子の顎に手をかけて上向かせ、吉羅は軽く唇を合わせる。


「もう帰りなさい。送って行くから」
「……はい」


帰り道は、駐車場まで無言で手を繋いで歩く。
吉羅は、一度はヴァイオリンどころか、音楽に関するすべてを捨て去ったはずだったのに。
ヴァイオリンをしながら同時に習得していたピアノも、同様に手も触れずにいたはずなのに。
香穂子が弾いてくれと迫った訳でもなく、彼が香穂子のためだけに弾いてくれた。
今日のことは、きっとずっと忘れられない。


本当は、彼のヴァイオリンこそ聴いてみたい。
できるのなら、一緒に演奏したいという密やかな願いがある。

でもそれは、いつかの満月の日に。
彼の心に何かの変化が起きた時に。


「満月は、人の心を狂わせると言うが……それは本当だな」
すっかり中天高くに昇った白銀の月を見上げながら、吉羅は呟いた。

「満月の夜は、多くの生命が産まれてくるという。生命は海から芽生えてきた。その海の満ち干は、月の引力によるところが多い。だから、人間も月の影響を受けるのは、ある意味当然かもしれないな」
「私、今夜の月に……感謝します」
香穂子は、吉羅の手を握る手に力を加える。


「今夜のことは、わかっているね」
「はい。二人だけの秘密、ですね」
ひとしきり泣いた後で、目の周りが赤くなっている香穂子が嬉しそうに微笑んだ。


胸の裡に繰り返しリフレインする、繊細な美しい音色。
眩い月の光に照らされ、ピアノを弾き続ける彼の姿。
満月の見せてくれた幻想的な贈り物は、香穂子の宝物になった。

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>きらりんさん
コメントありがとうございます♪私も「月の光」大好きです。ピアノで奏でられるこの曲を聴いていると
訳もなく涙ぐんでたり…心が揺さぶられます。
理事長が弾いてくれたのなら、感動的だろうなあと思いながら書きました。楽しんでいただけて嬉しいです♪
yukapi URL 2016/01/13(Wed)11:17:52 編集
プロフィール
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yukapi
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派遣社員だけどフルタイム 仕事キツい
趣味:
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