「あーあ、理事長本人に話を聞かれるなんて、不覚だったよ！」
翌日になっても、天羽はまだ怒りがおさまらないらしく、憤った口調で話しかけてきた。

「あんなに態度でかくて、存在感ありありなのに、こんな時ばかり音もさせずに背後から
現れないで欲しいよね、まったく！お庭番か、おまえは！ってのよ」
どうも天羽は逆ギレしているようなのだが、そこを突っ込むと、熱血派の彼女はもっと怒り狂ってしまうにちがいない。

「だいたいさぁ、謎が多すぎるんだよね、あの理事長。普段どんなことしてるのか、まったくわからないし、今回のことがなくたって、探るだけの価値はあると思うんだ」
「ちょ……もう、やめなよ」
天羽は全然懲りていないどころか、ますます執拗に吉羅を追い回すつもりでいるらしい。
さすがにこれはまずいんじゃないかと、慌てて止めようとする。
「んなこと言って、あんたも興味あるでしょ？二人で一緒に探ってみようよ」


「……確かに、理事長についてはほとんど何も知らないけど……でも、そんなプライベートに立ち入ったりするようなこと、調べちゃまずいんじゃないの？」
「まーたあんたは、生易しいこと言って。今の状況、どんなもんだと思ってるの？
このままじゃ、どこの誰ともわかんないヴァイオリンの厳しい先生を、勝手に押し付けられるんだよ？それを止められるんだったら、充分正当防衛の範囲だよ」


正当防衛って、確か生命や財産の危機にのみ適用されるって、お兄ちゃんの持ってる法曹関係の文献にあったんだけど……
なんて正論で天羽を諭そうとしても、完全に熱くなっている彼女を止められそうにない。

天羽は彼女なりの善意で、困り果てている香穂子を救おうとして、躍起になっているのだ。
その正義感の発露が、善意の押し付けと自己満足に過ぎないことに、ジャーナリスト志望の彼女が気付いていないのが困りものだ。

「てわけで、さっそく明日から理事長の追跡を始めよう！そうと決まれば、いろいろと入念に下調べと、用意をしないとね。報道部の腕の見せ所よ！じゃ、私は部に戻るから。また明日ね！」
言いたいことだけを言って、天羽は立ち去ってしまった。


ああ、困ったな。
昨日こそ、吉羅は大人の余裕でいなしてくれたけど、二度見咎められて、それでもなお三度目に、吉羅が寛容さを持って許してくれるとは思えない。
仏の顔も三度の例え話だが、彼は仏でもなんでもない。


「日野香穂子」
不意に声をかけられた。
聞き覚えのある、その声の持ち主は。

「おまえたち、ずいぶんと楽しそうなことを話していたな。吉羅暁彦を調べるのか？」
いたずらっぽい笑いを浮かべたリリが、空間に舞っていた。
「リリ！」
「我輩は、あいつとはそれこそ長い付き合いだからな。いろんなことを知ってるぞ。
だが、一般の生徒の前では姿を現さないのが暗黙のルールだからな。お前の友人の天羽とやらに、吉羅について教えてやれないのが残念なのだ」


「……それはおまえの身のためだったな、アルジェント」
深みのある男の声が聞こえてきた。
そちらに向かって振り返ると、秀麗な影が立ち尽くしていた。
「また会ったね、日野くん」
「むむ、いきなり後ろから現れるとは卑怯なのだ、吉羅暁彦！」
驚いたリリが、吉羅に抗議の声をあげる。

「どこでも神出鬼没なお前に言われたくはないね、アルジェント。音楽の妖精のお前に言っても、詮の無いことだが」
無表情な彼の顔は、何を考えているのか読み取れなかった。

「……ところで、日野君、アルジェント。どうやら、君たちは聞き捨てならない話をしていたようだが」
名前を呼びながら、ちらり、ちらりと香穂子とリリに冷たい一瞥をくれる。

「……物事には限度があるということを、よく覚えておくように」
吉羅は一段と低い声で、目を窄めてリリをじっと見つめる。
「私も、あまり思い切った手段には出たくはないものだ。……わかっているね？」
一言、ひとこと、刻むようにゆっくりと話しかける。

頭から怒鳴りつけられるよりも、よほど効果的な話術だった。
天羽がこれを聞いていたら、さすがに諦めてくれただろうか。

[3回]