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Since2013.10~「100万人の金色のコルダ」、漫画金色のコルダ、Vitaのゲームをベースに、吉羅暁彦理事長と日野香穂子の小説を連載しています。現在単発で吉羅理事長楽章ノベライズや、オクターヴの補完テキスト、パロディマンガ無料掲載中。一部パスワードあり
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――激しいギターソロが鳴り響く。
舞台の上に立つ男にスポットライトが当たり、男がマイクを取る。
そこに派手な文字でのテロップがかかり、同時に音声がかぶさった。
『Welcome to Seiso Gakuin』
ギターを奏で、何かを喋っているのは星奏学院の理事長である、吉羅暁彦その人であった。
そんな動画を……一体どうやって編集してこんな宣伝めいたものにでっち上げたのか、香穂子は呆れ半分興味半分で天羽の示すノートPCを見ていた。


人気の少ない土曜、自主登校している彼女らはカフェテリアの隅っこで、人目を避けるように作戦会議をしていた。
というよりも天羽のアイディアに香穂子が巻き込まれていた。
「ちょっと、無理だよ天羽ちゃん……こんなの、理事長が許すわけないって」
「やっぱりそうかなあ……報道部の集合知を結集して作ったっていうのになあ」
うーんと首をひねっている天羽のところに、口笛を吹きながら金澤が通りかかった。
「お、天羽。おまえに頼まれた教師のアンケートな、回答できたぞ。ほれ」
「あ、金やん、ありがとう」
金澤からの何かの紙を受け取った天羽が、途端に渋い表情になってしまった。

「ちょっと金やん!これまともに書いてくれてないじゃん、やりなおし!」
「うっせーなー、細々と。どうせんなもん誰も真剣に見ちゃいねーよ、なあ日野」
急に香穂子に話を振られてしまうが、香穂子は金澤のアンケート用紙を読んで首を振った。
「そんなことないですよ!新学期が始まれば新入生も、その親も学校新聞とかには目を通しますよ。どんな先生がいるのかな、なんてことくらい知りたいじゃないですか」
アンケート用紙には、教職員紹介として名前と年齢、受け持ち科目、趣味と座右の銘を書けというのがあった。
それには金澤は最低限のことしか書いてなくて、趣味は寝ること、座右の銘は横浜DeNA優勝などとふざけたことが書かれている。

「趣味が横浜DeNA応援でしょ?座右の銘はもっといいの考えてよ」
「あーもーめんどくせーから、なるようになるとか質実剛健とでも書いといてくれよ、なっ」
「全然意味が違うじゃん!座右の銘でお嫁さん募集中って書いちゃうよ!」
「それは余計なお世話様だっつうの」
一旦は通り過ぎようとした金澤が踵を返して近寄って来て、天羽は慌てて香穂子に見せていたノートPCを閉じた。
「なんか怪しいな~。俺には見せらんねえようなもんでも見てたのかな?あん?」
こんな時だけ妙に勘の鋭い金澤に突っ込まれて、天羽はノートPCを片付けようとした。
「そんなことない!ない!大丈夫だから!」
「どうせまた日野を巻き込んで悪さ企んでるんだろ。ほれ、誰にも言わないからちょっくら見せてみろって」

ノートPCの中は、先程の吉羅を主体とした宣伝動画が一時停止の状態にされていた。
それを金澤が再生させて見て、眉を寄せて唸った。
「なんだこりゃ。合成じゃねーかよ。理事長様の許可は……」
首を振る天羽に金澤は嘆息した。
「そりゃ、取れる訳ないわな。こりゃ無理だと思うぞー?あん時はあれが生で、俺が誘導したから、どういう風の吹き回しか吉羅の奴が演る気になったってだけでなあ」
髪に手を突っ込んでいる金澤も、困ったような様子を見せていた。
「こないだの動画騒ぎでも、今は結局権利者からの申し立てで削除させてたしな。あんましおかしな動画アップさせてると、おまえらのホストごと動画サイトに通報して、スパマーだから動画上げさせるなって注意させるって言ってたぞ?吉羅の奴」

「いい宣伝材料になると思ったのに……」
金澤が天羽と香穂子とに話をしていると、そこにタイミングがいいのか悪いのか噂の当人、吉羅がやって来た。
「金澤先生。探しましたよ。書類で確認して欲しいことがあるんですが」
一瞬その場の空気が凍りつくようになり、吉羅以外の三人は硬直してしまった。
「天羽君、これは頼まれていたアンケートだ。――それから、うちは別段派手に宣伝を打とうとは考えてはいないよ。日野君自体に広告塔の役割を果たしてもらうし、有名無実となって無能な生徒が押し寄せてきても致し方ない。良質な生徒が来てくれればそれでいいんだ」
「お言葉ですけど、理事長。音楽学院の理事長に、音楽的な素養があるというのは立派な広告効果になると思いませんか?」
天羽の反論に、吉羅は眉を顰めた。

「必要はない。私は今はクラシックの演奏とは無縁の生活だ。いわば隠遁生活を送っているようなものだ。大体、理事長などというのはお飾りに過ぎないよ。私が比較的まだ若いから注目を浴びているだけのことであってね。中身は空でも、世間はこの若さで理事長を務めていると興味本位になっているだけだ」
憮然とした吉羅の顔つきと言い草には、天羽との論戦に飽き飽きしたという意図がありありと浮かんでいた。
「金澤先生の言うように、またおかしな動画をアップロードしたら、君らのホストごと動画サイトにスパムユーザーとして規制をかけてもらうし、プロバイダーにも連絡させてもらうことになるよ。強制退会でもさせられては、親御さんも困るだろうね?」
天羽は二の句が告げられなくなってしまって、黙った。

「日野君も、妙な企みに乗せられることなどないように、自重したまえ。いいね」
一瞬鋭い目つきになった吉羅に見つめられて、香穂子は身が細る思いだった。
しかし、天羽は何かを閃いたようで手を叩くと勢い込んで吉羅に話した。
「理事長!これ、一日だけの掲載ってことじゃだめですか?エイプリルフール嘘企画ってことで!ねえ、お願いしますよ!なんなら星奏学院の生徒だけに向けて、パスワードかけた隠しページってことにして、四月一日だけで消します。他の媒体への転載は絶対厳禁でってことで。転載がバレたら処分するって注意書きを載せておきますよ。どうですか?」
吉羅の渋い顔がますます不愉快そうになった。

「そこまでして、なぜ私を全面的に表に出させようとするのか、理解できないんだが」
「いやあの、堅物という評判の理事長が超絶早弾きギタリストだったっていうので、生徒間ではとっても好評だったんですよ」
「ほう……」
吉羅は腕組みをして思案中だったが、不意にその顔が不敵そうな笑みを浮かべた。
「では、ここで誤解を解いておかねばならないね。あれは、バックにイングヴェイ本人のギタープレイの音を流していただけだ。実際には私は弾いていない」
その言葉を聞き、三人はきょとんとして顔を見合わせた。
「……つまり、どういうことですか?」
香穂子が吉羅に質問すると「わからないかな。あれはバックの音楽に合わせた、所謂エアギターだったんだよ」

突拍子もないことを言い出した吉羅の顔に三人が注視する。
「ま、信じるも信じないも君らの勝手だがね。それからもう一つ。私が好きなのは、もっと過激なスラッシュメタルの方でね。発禁処分を食らったSlayerの曲をかけたかったんだが、さすがにヨーゼフ・メンゲレの歌はまずかろうと思って自粛したんだよ」
「ちょ……それって、ナチスの戦犯ですよね?」
天羽が顔をしかめて指摘するが、吉羅が我が意を得たりとばかりに天羽に告げる。
「さすがは報道部、それは知っていたかね」
「おい、吉羅……」
さすがに彼の悪ふざけに金澤も呆れていた様子だったが、吉羅は満足そうに笑っていた。
「信じるも信じないも自由。まあ、それは一日だけの冗談としてアップロードしてくれても構わないよ。エアギターだと私が言っていたと注釈を加えておいて、転載は厳禁、発覚し次第処分をすると私に言わせておいてくれたまえ」

天羽の手に渡された吉羅のアンケートは、これまたふざけた内容のものだった。
趣味は音楽鑑賞と読書なのはいいとしても、座右の銘がふざけすぎている。
「なによこれ!The optimist sees the doughnut, the pessimist sees the hole.-Oscar Wilde-」
「あー、つまりだな。楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴を見る。っつう、幸福の王子やサロメで有名なオスカー・ワイルドの名言だな。……あいつ、またこんなもん出すとホモと思われるぞ」
ぼそりと呟いた金澤の言葉を、天羽は聞き逃さなかった。
「なにそれ!詳しく!理事長ってホモなの?」
「んなわけねーよ。あいつはどっちかと言うと、女には手が早……」
「金澤さん。早く書類の確認をしに来てください」

吉羅は金澤に走り寄って行くと、その肩を抱きかかえるようにした。
「さあ、早く二人きりでゆっくり過ごしましょう、金澤さん。私という者がありながら、女子生徒に色目を遣うとは酷いじゃありませんか」
呆気にとられる香穂子と天羽の視線を尻目に「おい、こら、吉羅、ふざけんな」と金澤の悲鳴のような叫び声が聞こえた。
「冗談だよねえ?あれ……」
ひきつったような笑いを浮かべる天羽に、香穂子は曖昧な返事しかできなかった。
「さあ……」


四月一日、「エイプリルフール企画」ということで、星奏学院のトップページから更に二段階ほど潜った階層に吉羅の嘘企画の隠しページが作られ、そこに吉羅のフルネームをパスワードとして入れると全貌が読める、という凝った作りになっていた。
もちろん転載禁止、そしてこれはエアギターですなどと嘘くさい注釈がされていた。
一日で消されたそれはジョーク企画としては好評で、一日でおよそ千アクセスを超えたのだと言う。

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『私には、確信があるんだ。君は、やがて私に感謝することになるだろう。賭けてもいい――』

理事長に就任したばかりだという、あの吉羅という男の言葉が耳から離れなかった。
傲岸不遜な、自信たっぷりの態度、そして人を見下すことを常としているらしい尊大な話しぶり。

たかが小娘の香穂子の考え方など、全てお見通しだとでもいうような断定の仕方に、今更ながら香穂子は腹が立ってきた。
横暴だと抗議した彼女の言葉など、歯牙にもかけぬといった有様で、香穂子の方こそが
毒気を抜かれてしまったような形だった。



思い立ったら吉日という言葉もあるように、香穂子は早速、放課後理事長室へと乗り込んでいった。
重そうな扉をノックすると、中から吉羅の「どうぞ」と入室を促す声が返って来る。
扉を開くと、中からコーヒーの芳香が漂ってくる。
前はデスクでふんぞり返っていた吉羅だが、この日は様子が違った。
広い理事長室の一角にあるコーヒーサーバーの前に彼がいた。

「ああ、日野君か。どうした、早速何か必要なものが出てきたのかね?」
「必要なものと言いますか……理事長がこの前仰ったことの、確認に来ました」
香穂子の憤然とした口振りからして、抗議に来たという意図を見抜いたらしく、吉羅は
唇の端で嗤った。


「なるほど、言質を取りに来たという訳か。それは賢明だね。いいだろう、君の話に付き合ってあげよう。その前に、ちょうどコーヒーを淹れていたところなんだ。君もどうかね?」
「え……あの」
「コーヒーのカフェインには、頭脳を明晰に覚醒させる効果があることは君も知っているだろう?論戦の前に飲むと効果的かもしれない。……いつまでも突っ立っていないで、ソファに座りたまえ」


言われるままソファに腰掛けると、まず香穂子の前に、高級そうなカップに注がれたコーヒーとソーサーが置かれた。
「要らないとは言わなかったね。嫌いではなければ飲んでみるといい。……ああ、そうか。君はミルクと砂糖が必要だったね。これは失敬、失念していたよ」
吉羅は香穂子の前にミルクと砂糖とスプーンを持ってきた。


「せっかく理事長様がお手ずから淹れてくださったので、ご相伴に与ることにします」
嫌味っぽくなるように言ってみたが、吉羅は余裕のある笑みで香穂子を見つめている。


「君は、酒を飲んだことがあるかね?」
唐突な話題で、香穂子はあやうく咽せてしまうところだった。
たとえ飲んだことあっても、飲んでるなんて、学院一お偉い理事長様に向かって言う訳ないでしょうが……
何考えてるんだろ、この男。

「理事長の仰ることの意味が、よくわかりませんが……一応、私は未成年です」
「別に、飲んでいたことを白状させて、処罰を与えたい訳ではないよ。私は君たちの教師ではない。ただ、人生の中で酒を知らないのは、大いなる損失だと喧伝する輩も多いが、私に言わせれば、コーヒーを知らない人生を送る方が、遥かに損をしていると思うね」


「よほど、コーヒーがお好きなんですね」
「好き……というのとは、少し違うな。もはや、ないと生活に支障をきたすレベルというか、一種の生活習慣になってしまっているからね。中毒と言っても差し支えないかもしれない」
「中毒の域ですか……」
香穂子は呆気にとられてしまいながら、いつしか吉羅のペースに嵌っていることにやっと気付いた。
意表を突くことを言い出して、論点をずらそうとしているのかもしれない。
この優男、実はかなりの策士だったと思い出し、香穂子の中で警戒心が湧き起こる。


香穂子はコーヒーを飲み干すと、吉羅に挑むように顔を見上げた。
「ところで、この前理事長が私に言ったこと、覚えてらっしゃいますよね?」
「ん?どういった内容かな?さすがに、それだけではわからない。ヒントを頼むよ」
「理事長によると、私は後日あなたに感謝するようになると。確信を持っているとも仰いました」
「……ああ、それか」
吉羅は薄く笑うと、香穂子に視線を送る。

まともに目と目がぶつかり合ってしまうが、香穂子は負けるものかとばかりに吉羅を見つめ返す。
「それで?それがどうかしたのかね?」
「その根拠は、私につけてくださる予定の指導者ですか?」
「いや、違う」
香穂子は、自分が当たりをつけていたことをあっさり否定されて、言葉に詰まってしまった。
「強いて言えば、私の勘だ」
「勘、ですか?じゃあ、根拠があったわけじゃないんじゃ……」
「勘というのも、馬鹿にしたものではないよ。人生経験に基づく類例が、データとして私の中に蓄積されている。それを、根拠のない出鱈目だと断じられたくはないね」


吉羅の鋭さと甘さの入り混じった深い瞳に見つめられると、香穂子は何故か落ち着かない気持ちになる。
あの目で、何もかもを見透かされているように思えてくる。
形にならない香穂子の中の、茫漠とした感情を掴み締められるような。


「吉羅理事長は、賭けてもいいと仰いましたよね。じゃあ、賭けませんか?」
香穂子の提案に、吉羅の整った眉が僅かに動く。
「そうだな……いいだろう、賭けは真剣勝負じゃないと、面白くないからね。で、何を賭けようか?」
香穂子はぐっと唇を噛み締めてから、吉羅に告げる。


「期限は、卒業まで。私があなたに感謝の念を持てなかったとしたら……、吉羅理事長は、コーヒーをやめてください」

言ってやったぞ、と言わんばかりに香穂子はやや引きつった笑みを浮かべる。
そこまで好きなものなら、代償として賭けに使ってもいいはずだ。

「……大胆なアイディアだね。気に入ったよ。その条件を呑もう。私の生活習慣の一部になっているコーヒーを奪うほど自信があるのなら、私からも君に賭けてもらうものを決めるよ」
「なんなりと、どうぞ」
吉羅は、いかにも楽しげに笑みを浮かべながら、それでいて目は香穂子を射るように挑発的だった。

「君が卒業までの間に、私に感謝の気持ちを持てたとしよう。その時は、君が一番大切にしているものを、私がいただくというのはどうだろう」
「一番大切な……?」
香穂子は虚を突かれて、目を瞬かせる。
「そう。いつも君が大事に持っている、あのヴァイオリンでもいいな。あるいはその弓とか。あるいは……」
香穂子の瞳を下から見据えるようにしつつ、吉羅は優雅な指先をついと香穂子に向けた。
「……君自身、とか」


あまりのことに、香穂子は二の句が告げられなくなってしまった。
頬が熱い。急速に心臓の鼓動が早まっていく。
それがどういう意味なのか、確かめるのが怖い……


「……おやおや。真っ赤だな。何を想像しているのかは知らないが」
くくっ、とおかしそうに笑い、吉羅は香穂子が赤くなっているのを指摘した。


「君が賭けるもののどれを決めるかは、私が選ぶということでいいかね?」
「い、いいわけないですっ!あの、ヴァイオリンとか、弓なんかでよければ、いくらでも差し上げられますけどっ、でも、さ、最後のは……」
「ああ、君を借り切って、一日私の仕事を手伝ってもらったりとか、そういうことを考えていたんだがね」

吉羅はにやりと笑いながら、うろたえる香穂子の顔をじっと見つめてくる。
そうではない意図を滲ませていたくせに、香穂子が追及するとあっさり逃げる。
「それ以外のことでも考えていたのかね?」
「そんなわけないですっ」
まだまだ潔癖な彼女は、吉羅の言葉遊びで嘲弄されていたのを知って、怒りを露にした。
どう考えても、彼が性的な意味合いをこめて、香穂子がそれと察知するのをからかっていたのは明白なのに。


だめだ、これ以上ここにいたら、私は結局言い負かされてしまう。
香穂子は席を立ち、吉羅に対して捨てゼリフを投げつける。
「私、もう失礼します!理事長、賭けのこと、絶対に忘れないでくださいねっ」
「忘れるわけがないよ。なんなら、言質だけじゃなく念書でも取ろうか?法的にはなんら意味は無いが」
「そうですよね、強要になります。違法ですもんね」

思いがけず香穂子の機知に富んだ返答に、吉羅は瞬間驚いた表情になり、そして次に不敵な笑いを浮かべた。
「その通りだ。念書を交わしたとしても、違法なので効力は無い。君は頭がいいんだな。この事は、お互いの胸に秘めておくのが上策というものだね」
「そのようですね。……では、失礼します」



ドアが閉まって香穂子が立ち去った途端に、吉羅は哄笑したい気持ちになった。
なかなか負けん気が強い。
あれなら、きっと伸びるかもしれない。
吉羅の挑発に対して同じように仕返してくるとは、一見華奢で折れそうに細く見える彼女の心は、案外と強靭そうだと思った。


「コーヒーをやめろ……か」
香穂子が切った期限は卒業まで。
それまでにどう彼女が変化してゆくのか、吉羅は楽しみな気持ちになった。

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ある日の夜、吉羅の携帯に香穂子から電話がかかってきた。
特に急がない用事の時はメールなので、危急の用件だと思って出る。

『あ、吉羅さん!すみません、こんな夜分に。今学校にいますか?』
「ああ。今もまだ仕事中だけど、何か急ぎの用事かね?」
『あの、音楽準備室に忘れ物してきちゃいまして』
「忘れ物?何を忘れたのかね?」

『家の鍵とか入れたポーチなんです。今、親も姉も外出中で、その鍵がないと私、家に入れないんです。家の前で鞄探したら、忘れ物に気付いて……』
「準備室には鍵がかかっているが、金澤さんはもう帰宅している」
『えと、あの、どうすればいいでしょうか、私』


香穂子はよほど焦っているのか、電話口のむこうで早口になっている。
外は夜の8時過ぎで、若い娘が一人きりで制服姿でうろつくには微妙な時間帯だ。


「親御さんか、お姉さんに連絡はつかないのかね?」
『親は友達と旅行中で、姉は会社で、今夜締めの残業中だから、すぐには帰れないって言われました……』
「君は今も家の前にいるのかね?それなら、すぐこちらに来なさい」


やがて、香穂子が息を弾ませながら理事長室にやって来た。
「失礼します」
走ってきたと思しく、その後は荒い息で言葉が続かない。
「音楽準備室の鍵を、職員室から持ってきた。その忘れ物を、一緒に探しに行くからついて来たまえ」
鍵を手にした吉羅が、香穂子の前を歩き出す。


「ありがとうございます。……すみません、ご迷惑をおかけして」
「まるで、私は君の担任教師みたいだな。もっとも、私は教員免許は持っていないがね」
吉羅は話しながら、香穂子と歩調を合わせて歩く。
既に生徒は残っておらず、人のいない廊下の明かりは非常灯のみの最小限に絞られていた。


「いつも、こんな時間までお仕事しているんですか?」
「まあ、大抵はね。他の教師陣は、テストの前後はもっと遅くまで問題作成や採点でてんてこ舞いしているよ。私の主な仕事は、学院運営上の最終的な判断や決裁が多いが。
女子生徒を連れて、夜の学校巡りまでする羽目になるとは、思いもよらなかったな」
吉羅は苦笑を浮かべながら、からかい半分で香穂子を見る。


「……夜の学校って、普段と全然様子が違いますよね……」
香穂子の歩くスピードが、だんだん遅くなってきている。
周りをきょろきょろ見回しながら、暗闇のほぼ無人の校内を怖がっているらしい。
「今夜は、なんだかおとなしいね。もしかして、怖いのかな?」
「……………………」
返ってきたのは無言の承諾だった。


「あの……吉羅さん」
「なんだね?」
吉羅のスーツの上着の端を、香穂子の手がそっとつまんでくる。
「やめたまえ。服が伸びてしまう」
言いながら、香穂子に手を差し伸べる。
吉羅の手を見て、一瞬躊躇う香穂子が、意を決して彼の手を握る。


「暗闇を恐れるよりも、もっと他に警戒すべきものがあるんじゃないかね」
「え?」
聞き取れなかったのか、香穂子が聞き返す。



二人は真っ暗な音楽準備室の前に立ち、吉羅は廊下に備え付けてある非常用ライトを手に取り、香穂子に手渡した。
「日野君、このライトで鍵穴を照らしてくれないか」
「はい」
香穂子が差し出したライトの灯りを頼りに、吉羅は開錠に成功した。

室内の照明のスイッチをライトで探り当て、押してみる。

反応がない。
スイッチが入り切りされる音さえしない。
「どうやら、スイッチ部分の回路が破断しているな」
吉羅は渋面を作った。
「明日、修理を頼むことにしよう。日野君の荷物は、どこに置いたのか覚えているかね?」

「確か、ピアノの横の、窓の近くに置いたと思います」
吉羅が香穂子の手を引きながら、窓辺の方に歩いて近寄った。
香穂子が言った辺りをライトで照らす。


「あ、あった!」
香穂子はポーチを手にして、中身を開けた。
「大丈夫です、鍵もありました。ああ、よかった……」
安堵に笑み崩れる香穂子を見ていると、吉羅も自然と顔が笑いを形作ってしまう。
「気をつけたまえ。これが私だったからよかったものの……」


カーテンの隙間から、月光が漏れてくるのがわかる。
「あ、そういえば……今夜は満月ですね」
香穂子はカーテンを引くと、彼女の言う通りに美しい満月が夜空に浮かんでいるのが見える。
「そうだったのか。君に言われるまで、気がつかなかったよ」
「働きすぎなんじゃないですか?ほら、よく言うじゃありませんか。空を見上げる余裕もないほど働いてるって」


「そうかもしれないな。仕事に集中していると、今がいつなのか、時間だとか、日付や季節の概念さえわからなくなる時があるよ」
「季節までわからないって、ほんとですか?」
香穂子が素っ頓狂な声をあげる。
そんなにおかしいのだろうか、と仕事中毒の吉羅には何が問題なのかわかりかねた。


「いや、そういう時があるってことだよ。いつもいつもそうだったら、まるで私は認知症じゃないか」
「そんな吉羅さんなんて想像できませんよ!」
すっかりいつもの快活さを取り戻した香穂子を見て、吉羅は穏やかな気持ちになる。



満月の光はとても明るくて、窓辺にあるピアノも、二人の姿も清明な光で照らし出される。
「……こういう時には、ドビュッシーの『月の光』弾きたくなります」
「月の光か。ぴったりだな」
香穂子がグランドピアノの蓋を開けて、それでも鍵盤には触れずにじっと見つめている。


「私、昔ピアノやってて、それでも辞めちゃったこと、吉羅さんは知ってますよね?ピアノを弾きたい、うまくなりたいって思ったきっかけの曲なんです」
香穂子がどこかせつなげな顔をして、吉羅の方を見つめる。


「私って手が小さいから、ただでさえピアノを弾くには不利なんですよね。指も長くないし、どんなに手を広げても、キーに届かなくて。指がうまく動かなかったことが、悔しくて、悲しくて。
だからなのかな……私、『月の光』のピアノ演奏を聴いてると、泣けちゃう時があるんです。
光は優しく照らしてくれるのに、決してこの手には掴めない気がして……」


それまで黙って彼女の言葉に聞き入っていた吉羅は、香穂子の傍に歩み寄ってきた。
「君を泣かせてしまうかもしれないけど、いいかな」


香穂子が意味をわかりかねて問いかけようかとしていると、次に吉羅はまたも彼女を驚かせた。
ピアノ奏者が座る椅子に着席する。
吉羅の行動を見つめている香穂子は、思いもかけない彼の様子を見て息を呑む。


吉羅の手が鍵盤に触れ、流麗な演奏が始まった。
あくまでも優しく、繊細なタッチで彩られるピアニシモ。
細く長い指の織り成す優美な音の世界に、香穂子は心を奪われる。
姉の命を奪った音楽を憎み、ヴァイオリンを捨てた男が、今自分の目の前で、彼女が憧れてやまない旋律をピアノで奏でてくれている。
自分のために。


こんなことって、本当にあるのだろうか。
月が見せてくれる幸福な幻影じゃないだろうか。
奇跡のように突如現れた目前の光景に、香穂子は魂を揺すぶられる。
白銀色に煌く光を一身に浴びる吉羅の姿が浮かび上がり、優しく彼女に語り掛けるように響いてくる音色。
吉羅は今、間違いなく香穂子のためだけに弾いているのだと確信できた。



いつのまにか、香穂子の大きな瞳から、涙がはらはらとこぼれて落ちた。



演奏を終えた吉羅が香穂子を見上げると、彼女は頬を濡らしていた。
「やっぱり、泣かせてしまったね」
「だって……。だって、吉羅さんが……」
泣きながら言葉の続かない彼女を、吉羅が抱き寄せる。
すすり泣きを続ける香穂子の体の震えが止まるまで、何も言わずに抱きしめ続けた。


規則正しい、彼の心臓の鼓動の音が聞こえる。
広い胸の中に体ごとすっぽり包まれていると、このまま眠ってしまいたいくらいに、安心する。
「ありがとう……もう大丈夫です。ごめんなさい、迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃない」
吉羅が、香穂子の前髪をそっと指で払って、額に口づける。
「落ち着いたかな?」

優しく笑いかけてくれる吉羅を、香穂子は潤んだ瞳で見つめる。
自分が本当は何を求めているのかを、眼差しで訴えかける。
香穂子の顎に手をかけて上向かせ、吉羅は軽く唇を合わせる。


「もう帰りなさい。送って行くから」
「……はい」


帰り道は、駐車場まで無言で手を繋いで歩く。
吉羅は、一度はヴァイオリンどころか、音楽に関するすべてを捨て去ったはずだったのに。
ヴァイオリンをしながら同時に習得していたピアノも、同様に手も触れずにいたはずなのに。
香穂子が弾いてくれと迫った訳でもなく、彼が香穂子のためだけに弾いてくれた。
今日のことは、きっとずっと忘れられない。


本当は、彼のヴァイオリンこそ聴いてみたい。
できるのなら、一緒に演奏したいという密やかな願いがある。

でもそれは、いつかの満月の日に。
彼の心に何かの変化が起きた時に。


「満月は、人の心を狂わせると言うが……それは本当だな」
すっかり中天高くに昇った白銀の月を見上げながら、吉羅は呟いた。

「満月の夜は、多くの生命が産まれてくるという。生命は海から芽生えてきた。その海の満ち干は、月の引力によるところが多い。だから、人間も月の影響を受けるのは、ある意味当然かもしれないな」
「私、今夜の月に……感謝します」
香穂子は、吉羅の手を握る手に力を加える。


「今夜のことは、わかっているね」
「はい。二人だけの秘密、ですね」
ひとしきり泣いた後で、目の周りが赤くなっている香穂子が嬉しそうに微笑んだ。


胸の裡に繰り返しリフレインする、繊細な美しい音色。
眩い月の光に照らされ、ピアノを弾き続ける彼の姿。
満月の見せてくれた幻想的な贈り物は、香穂子の宝物になった。

拍手[14回]

「吉羅さんって、今はもうヴァイオリン弾かないのはわかってますけど、他に楽器とか弾かないんですか?」
唐突な香穂子の問いに、吉羅は即答する。
「今はもう弾くことはないね」
「今は、ってことは昔は違う楽器やってらしたんですか?」
「まあね。クラシック奏者である以上は、まずピアノは基本だろう。君も昔はピアノを弾いていたんだろう?」
香穂子自身は、ピアノはキーを押さえることの難しさにバイエルを投げ出してしまった。

「ええ、根気が続かなくてやめちゃったんですけど。……それで、その……」
言いにくそうにもじもじする香穂子の様子を、吉羅は不審そうに眺めている。
「なんだね?何か言いたいことがあるなら、言ってみたまえ」
察しのいい吉羅には、隠し事などできそうにない。

「あの……一度でいいんです。吉羅さんのピアノ、弾いてくれませんか?」

拍手[8回]

プロフィール
HN:
yukapi
性別:
女性
職業:
派遣社員だけどフルタイム 仕事キツい
趣味:
読書。絵を描くこと、文章を書くこと。
自己紹介:






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