そろそろ学校新聞の発売予定日のはずなのだが、一向に最新号が売り出される様子はないまま、その日の放課後も終わろうとしていた。
どうなっているのか天羽の携帯に電話をしても、メールをしても返事がなかった。
理事長室の前を通りかかると、ちょうど扉を開けた天羽がうなだれながら出てくるのを目撃した。
「ちょっと、天羽ちゃん」
「あー、日野ちゃん?学校新聞の記事ね、理事長にダメ出しされちゃったよ。試し刷りしかしてなくて、部分的に見本として掲示板に貼り出したらさ、早速理事長から呼びつけられて、直々にお説教」
「そうなんだ……」
やっぱりなと香穂子は思った。
あんな記事を吉羅が許す訳もないし、ましてや校内新聞として大々的に売り出すだなんて、反対があるに決まっている。
「学院理事長としての名声を高めるって言っても、そんなわけがないって叱られちゃった。表には出すなってさ。あーあ、骨折り損のくたびれもうけとはこのことよ」
報道部の部室に連れて行かれた香穂子は、部屋の奥に誘導された。
「これさ、特別に日野ちゃんにあげるから」
天羽からケースに入ったSDカードを手渡された。
「理事長がバスケしてる静止画と、あと動画!後でゆっくり観てよ」
「えっ……ええっ?!いいの、こんなのもらっちゃって?」
「いいのよ、どうせお蔵入りになるだけなんだからさ」
天羽はそう言いながら香穂子の表情を眺めてニヤニヤとしている。
「今、あんた理事長の前に行かない方がいいね。すっごい嬉しそうだもん。その顔じゃ何があったかわかっちゃいそう」
「え~……私、そんな顔してる?」
香穂子は戸惑いながら、SDカードを大事に鞄の奥に入れた。
「わかりやすすぎ!日野ちゃんって嘘つけないよね。理事長に取り上げられないように、見つかんないようにしてこっそり帰らないとね。じゃあね、あたしはまだ作業が残ってるからさ」
――ドキドキと、鼓動の早まりが止められない。
今日はなんだかずっと動悸がしている気がする。
吉羅に見つからないようにすると言っても、放課後の空いた時間にコーヒーを淹れてくれるようにとメールが来ていた。
体調がよくないから行けないとでも言えば、車で送ってくれると彼は言い出すだろう。
どちらにせよ、今日これから吉羅と顔を合わせずに帰ることなど不可能だ。
仕方がないので理事長室に出向き、いつものようにコーヒーを淹れる……
だが、一向に吉羅からバスケの写真を新聞記事にしようとした天羽とそれを差し止めた話が出てこない。
「送って行こう」
毎度ながら吉羅は何を考えているのか読み取れない。
香穂子が何かを抱えているのを勘の鋭い吉羅は察しているだろうに、こうやって何も言われないでいると余計に気にかかる。
「あの……天羽ちゃんが、理事長のバスケを記事にしようとした話。お聞きになりました?」
「ああ、それはもう知っているよ。私から直接、記事を差し止めさせたのだからね」
思い切って香穂子が発した質問に、さらりと吉羅が答えた。
これで、もう吉羅は火原らとバスケをする機会はなくなってしまうかもしれない。
記事を止めても、少なくとも報道部に所属している生徒や、掲示板で見出しを目にした生徒はこれを知ってしまった。
香穂子は思わず大きくため息をついてしまった。
「どうしたんだね?そんなに落胆したのかな。私が、新聞に取り上げるなと言ったのを」
「いえ、そうじゃなくて、その……」
香穂子は口ごもった。
「あの……もう、理事長はバスケされなくなっちゃいます……か?」
おそるおそるそう訊ねてみた。
「そうとは限らない。私が運動をしたくなり、あの場に火原君たちがいて、彼らと都合がついたならね」
そんな答えが返ってくるとは思わなかった。
香穂子が吉羅の顔にじっと見入ると、彼は柔らかく微笑していた。
「いい気分転換になったよ。日常の些事を忘れることができた。またいつか機会があれば、私は君の観戦を止めはしないよ」
香穂子はとても嬉しくなった。
吉羅の通うスポーツジムに連れて行ってもらったことはあって、水泳でかなりの距離を泳げることや、服の上から見るよりもずっとガッチリした体格をしているのは実際に目にしていたが、彼が他人とスポーツで競い、しかも現役高校生の火原ら三年生を相手に、軽々と勝ち星を奪えるほど強いだなんて……
ますます吉羅が好きだと自覚せざるを得なくなったし、彼を知りたいという気持ちが強まっていくばかりだ。
「ところで。君は、何か私に隠していることはないかね?」
鋭く斬り込んでくる吉羅の言葉に内心冷や冷やしながらも、香穂子は答えた。
「……いえ?なんのことでしょうか?」
にっこりと笑ってみせたつもりだが、頬の辺りと唇の端が少しひきつる。
「ほう……そうか。それならいいんだが」
吉羅の車が香穂子宅の前に着いた。
「ありがとうございました。……おやすみなさい」
「ああ、日野君」
背中にかかる吉羅の声に、ぎくりとして香穂子は足を止めた。
「くれぐれも、私の静止画や動画等は表に出すことのないように頼むよ。……では、おやすみ」
最後に優しく微笑まれた。
お見通し、か……
やっぱり、彼は最初からわかっていたんだ。
記事を表に出させない以上、天羽が香穂子に吉羅の写真等を渡してくれるのを察していたんだ。
なのに深く追及してくることもなく、軽く触れただけで終わりにしたのは何故だかこそばゆい気持ちになる。
吉羅から信頼されている、そう思えたから、彼の掌の上にいるのがとても心地いい。
言われなくとも、これは絶対に香穂子だけの宝物だ。
誰にも見せない、大事な大事な秘密の……
飛び上がって喜んでしまいたいくらいに弾む気持ちを抑えつつ、天羽から貰ったSDカードをPCで見るのが楽しみだった。
(捏造後日談・了)
おいおい次の友情イベは吉羅理事長と王崎先輩とかよっ!もう明後日からとか!
GCでは金曜からオケフェスかよっ!だから短期決戦のイベを双方ともぶつけるのはよせとry
過去イベ取り戻し中の掛持ち組には辛いスケジュールですね、やっぱり頑張るけど(´・ω・`)
当然、天羽の存在が吉羅から気取られないように遠くに潜んで望遠機能で撮影を敢行している。
「ベストショットは沢山撮っておくから、あんたは肉眼でその目に焼きつけておきな」
との天羽の言に従い、香穂子が息を弾ませながらバスケコートへと急いでやって来た。
既に試合は始まっていたが、ボールをキープしている火原がチームメイトにパスをしようとしたが、吉羅がジャンプしてボールを奪ってしまった。
慌てて三年生が吉羅を追うが、足の速い彼に追いつけない。
ゴールまでの独走を許してしまい、シュートが決まった。
吉羅の鮮やかな体の動きに、香穂子は目を奪われていた。
スポーツ全般が得意な火原だが、中でも彼は特にここらや街中の公園などでもバスケしている姿をよく見かける。
ということは彼の得意中の得意のスポーツなはずだが、吉羅はあっさりと火原のお株を奪ってしまうほどの活躍ぶりだ。
想像以上の吉羅の姿に、香穂子はときめきが止まらない。
心臓が今にも破裂してしまいそうなくらいに早く打っている。
高校生相手におとなげないとリリは言っていたが、吉羅の主張通りに手を抜く方が火原たちに失礼だ。
……もしかして、吉羅はこれでも多少は手加減をしているのかもしれない。
真剣勝負をしているように見えるが、吉羅の唇に浮かんだ笑みが余裕綽々でいるのを表していると思う。
バスケの得意な火原を文字通り手玉に取るほどなのだから、吉羅が現役の高校生の時代には相当にやり込んでいたのだろうか?
それでいて天才と崇められたヴァイオリニストだったというのだから、彼は一体どれほど多くの才能を発揮していたのだろう?
つくづく、世の中には天に二物も三物も与えられている人間もいるものだと、吉羅を見ていて思わされる――
フル・ルールの試合形式で、五分間の前半戦と後半戦の間に一分間の休憩が挟まれる。
通常のバスケコートの半分に縮小されているとはいえ、コート内を走り回っていてボールの奪い合いをしていれば、それなりに疲れるだろう。
だが、吉羅はさほど疲労を感じさせない。
どこか冷たささえ感じさせるいつものごく平静な態度と表情でいる。
香穂子がネットにしがみつくようにして、食い入るように試合を観戦していたのに気づいたようで、こちらを見上げる吉羅と視線が合った。
気まずく感じて目を逸らそうとしたその瞬間に、吉羅が唇に微笑を浮かべる。
きっと最初から彼は香穂子の存在に気づいていて、それで意味ありげに微笑んで見せたのではないか。
そう思えてしまった。
試合は白熱の展開を見せるが、やはり吉羅の活躍の機会が多い。
彼が相当に強いと知ったチームメイトから積極的にパスを回され、それを奪いにくる火原やその仲間たちを巧みに躱し、シュートを決める。
香穂子は、体中がうずうずするような奇妙な高揚感でいっぱいになった。
できるのなら、声を限りに「理事長、頑張って!!」とでも叫びたい。
だが現実には、自分に好意を抱いてくれている火原の気持ちを察しているだけに、とてもそんな残酷な真似などできはしない。
火原に、「どちらを応援していたか」などと訊かれたら、きっと自分は火原だと答えてしまうだろう。
吉羅がパスを奪ったり、ボールを奪回しに来る敵の攻撃を避ける度に、素敵!だとか、かっこいい!!とか、胸の裡で精一杯に叫んでいた。
秘めた恋は辛い……
ここで吉羅への好意を剥き出しにする訳には絶対にいかない。
火原を落胆させ、吉羅に恥をかかせ、何よりも自分がよりによって理事長を好きだなどという感情を公に晒すことなどできない。
――試合は、吉羅のチームが点差をつけて勝利が決まった。
「ああ~、もう。すごいなあ!理事長、すごすぎますよ。おれたちの完敗ですね!」
火原が大汗を流し、息を乱しながらそう呟いた。
だが、彼の表情は負けたにしてはとても明るく、声も力強い。
「いい気分転換になったよ。君らには感謝をしなくてはならないな」
吉羅が笑みを湛えて三年生たちにそう告げる。
「では、私は執務に戻る。君たちも、予鈴の前に教室に戻りたまえ。よく遊んだ後にはよく学ぶ。実に高校生に相応しい振る舞いだ」
「あのっ、理事長!また、来てくれますよね?」
「――ああ。私が気分転換をしたくなったらね」
火原からの声かけに、手を振って応じる吉羅だった。
そこへ、香穂子が小走りに吉羅に近づいた。
「ああ、日野君。今のを観ていたのかね」
「はい。あの……とっても、素敵でした……」
冷えたスポーツドリンクを自販機で買ってあって、まだまだ冷たさを保っているのを手渡した。
「ありがとう。ちょうど、その手の飲料を買わねばと思っていたところだったんだ」
吉羅がペットボトルを受け取る時に、微かに香穂子の手と彼の指先とが触れ合った。
思わぬ接触に体がビクついてしまった。
吉羅はそんな彼女を見下ろして微笑んでいる。
「そろそろ予鈴の鳴る時刻だ。教室に戻りたまえ」
「はい……」
香穂子は、今さっき目に焼き付けた吉羅の雄姿を反芻するので精一杯だった。
次々に新たな魅力を見せてくれて、惚れ直してしまう。
彼に惹きつけられる。
自分ではどうしようもない、抗い難い磁力の如き何かで強烈に誘引されているように感じる。
去っていく吉羅の後姿を見つめながら、さっきまでの興奮状態の余韻に浸っていた。
そんな香穂子の肩を、背後から現れた天羽の手が叩いた。
「ふっふーん、一大スクープゲット!早速記事にしちゃってくるわ。
日野ちゃん、出来上がりを楽しみにしててよね!それじゃっ」
「あ、ちょっ……天羽ちゃ……」
香穂子が、それはまずいんじゃないかと止める間もなく天羽は風のように素早く去っていってしまった。
(まだ続きます~。絵ばっかり立て続けにアップしましたが、ちゃんと書いてました(`・ω・´)シャキーン)
火原の無謀とも言える誘いに乗り、バスケの3on3対決に臨んだ吉羅。
結果は吉羅チームの勝利で幕を閉じたのだが――
そのほぼ同時刻。
報道部の辣腕記者である天羽菜美が、何かいいネタはないものかと学院の敷地内をうろつき回っていた。
バスケのコートから楽しげな声が聞こえてくるのを耳にして「おーおー、楽しそうだねえ」などと呟きつつ、フェンスの外側に近寄って行った。
そこで、彼女は目を疑うような光景を発見してしまった――
学院の理事長である吉羅が、何故か音楽科三年生の火原らと一緒に楽しそうにバスケに興じているではないか?
人数からして正式な試合ではなく、所謂3on3という簡易形式の試合であるらしい。
ちょうど首からデジカメを提げていた天羽だが、コート内の吉羅に感づかれないようにと、樹木の陰からそろそろと足を忍ばせて近寄った。
千載一遇のスクープショットのチャンス到来だ。
彼女はそう思いながら逸る気持ちを抑えつつ、ベストショットが撮れる機会を窺っていた。
まずは遠景から、吉羅が生徒らと一緒にコートを走っているのを一枚。
火原の打ったシュートが惜しいところで外れてしまい、リングに当たって跳ね返されてしまった。
リバウンドでこぼれたボールをタイミングよく拾ったのは、なんと吉羅だ。
そこも夢中でシャッターを切った。
吉羅の動きは素早くて、現役高校生の彼らと全く遜色ない。
ましてスポーツ万能に等しい火原と対等、いやそれ以上の反射神経でじりじりとゴールに近づいていく。
「うわっ、フェイント?!」
火原の仰天した大声の後は、吉羅のロングシュートが見事に決まった――
どうやら、吉羅は視線のやり場と実際の動きとを違えた高度なフェイントを仕掛けて、火原はそれに乗せられてしまったらしい。
試合は吉羅チームの勝利に終わって、負けに納得できない火原から再戦を望まれて、意外なことに吉羅はそれにOKを出していた。
これは、後日の再戦は有りなのか?
期待していいのか?
などと考えると浮かれそうになる彼女は、スキップでもしたい気持ちでいっぱいだった。
思わぬ大スクープをものにした天羽は、ホクホク気分で歩いていた。
その日の放課後。
オケ部の練習を終えた火原に、天羽は直接交渉に当たることにした。
部室の外を、さも今しがた偶然通りがかったように見せかけて火原の姿があるのを確認し、声をかける。
「火原先輩!練習お疲れ様でしたっ」
「あ、天羽ちゃん!ありがと」
愛想よくニコニコと笑っている火原の無邪気な笑顔を目の当たりにして、これほどいい取材相手はないものだと天羽は思った。
「ところで、先輩。ちょっと先輩にお話を伺いたいんですが……」
天羽が今日の昼休みの光景を耳打ちすると、火原は驚いた表情を作った。
「ええっ、うまくいくかどうかなんてわかんないよ。だって、何月の何日に、いつ再戦するかとか細かく決めたわけじゃないしさ」
「あちゃあ、そうなんですか!……すると、先輩たちはよくあのコートで昼休みバスケしてるから、また理事長の方から現れるまで、根気よく待つしかないってことですよねえ……」
火原と吉羅とは、また3on3をやろうと話してはいたが、具体的な日時などはまったく決めていないらしかった。
天羽の魂胆としては、こうだ。
次回再戦の様子もしっかりとカメラに収めて、できれば校内新聞として販売したい。
架空の見出しもすっかり頭の中にできている。
『なんと!あの堅物理事長が、スポーツ万能火原和樹と3on3対決!』
理事長がこんな意外なことをしていると前面に出してアピールすれば、大きな話題になるのは決まっている。
これで報道部の新聞売り上げはうなぎ昇りに跳ね上がるし、部費も出るので万々歳。
そういった筋書きを頭の中で描いている彼女だった。
――しかし、それは世間一般で称される「獲らぬ狸の皮算用」というものなのだが……
――翌日の昼休み。
吉羅がバスケコートに現れることはなかった。
決して感づかれないようにと、遠くに身を潜めている天羽の意気込みは不発に終わってしまった。
しかし落ち込むことはない。
火原の言うように、はっきりとした再戦日など決めていなかったのだから、吉羅がまた気まぐれを起こしてくれるのを待とう。
そう思い直したのも束の間、その翌日も、そのまた翌日も吉羅は現れなかった。
日頃多忙な吉羅なのだから、すぐには来ないと予測してはいたものの、週末を迎えても彼の来訪はないままだった。
週明けの月曜日、今日もおそらく来ないと思ってはいても、一応コートが望める位置に隠れていた天羽だった。
――これは、持久戦を覚悟しなくてはならない。
天羽がそう決心したその時だ。
なんと、吉羅がスーツ姿でバスケコートに歩いて近寄って来るではないか?
「あっ、理事長!あざーすっ!!」
三年生が吉羅に挨拶する声が聞こえる。
「えっと、理事長はリターンマッチに来てくれたということでいいんでしょうか?」
「ああ、そう受け取ってくれて構わないよ。食後の運動にちょうどいい」
火原の質問にそう答えた吉羅に対し、おおーと野太い歓声が湧く。
スーツのジャケットを脱いだ吉羅は、それをベンチに置いた。
天羽は急いで香穂子にメールを打った。
「至急!バスケコートで、理事長が火原先輩と対戦だよ!早く早く!!」
(続きます。アイディア提供してくれた方々ありがとう♪)